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⑤水城跡

水城の渡しから上陸した道真公は

水城の東門を通って大宰府に入っていったと思われます。

660年、唐・新羅連合軍に滅ぼされた百済の救援のため倭国(日本)は派兵しますが、

663年、白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗。

翌年、664年に防衛のために築かれたのが水城。

「日本書紀」には「筑紫国(つくしのくに)に大堤(おおつつみ)を築き水を貯へしむ、

名づけて水城と曰(い)ふ」と記されています。

長さ約1.2km、幅約80m、高さ約10mの土塁が築かれ、

約60mの外濠があったと考えられています。

東門と西門の2つの門があり、

大宰府を訪れる人々はそこから出入りしました。


水城跡



国分丘陵展望所から眺めた水城跡

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